信心の沙汰

2011年4月 3日 (日)

何億、何兆、何京人の中で最も偉大なお方

親鸞会館での二千畳座談会に参詣させて頂いた後、信心の沙汰をしました。

お釈迦様は、二大聖人と言われても、三大聖人と言われても、常にトップに挙げられ、讃えられるお方です。

この地球上で、一体どれほどの人がいたかと考えてみますと、何億や何兆ぐらいの人数では無かったでしょう。何京人か、何垓人か、何杼人か、どの表現を使っても数え切れないほどの人がいたと思います。

その中、お釈迦様以上の方は無い、と言われるのですから、どれほど偉大なお方かと、知らされました。
そのお釈迦様が、大宇宙にましますガンジス川の砂の数ほどの仏様の「本師本仏」と仰がれるお方が阿弥陀如来ですから、阿弥陀如来が如何に凄いお方かと知らされます。
仏様と言われれば、レッテルが違うだけでどの仏も同じだ、と一般的に思われていますし、私も仏法を聞かせて頂く前は思っていました。
親鸞聖人の教えを聞かせて頂いて、別々の仏様であること、しかも阿弥陀如来が先生の仏であることが分かりました。
仏法を聞かなければ、分からない事だらけです!よく聞かせて頂きたいと思いますhappy01


(メモ)数の桁
(古いメモなので間違っていたら教えて頂きたいと思います)
一……1の位
十……10の位
百……10の2乗
千……10の3乗
万……10の4乗
億……10の8乗
兆……10の12乗
京(けい)……10の16乗
垓(がい)……10の20乗
杼(じょ)……10の24乗
穣(じょう)…10の28乗
溝(こう)……10の32乗
澗(かん)……10の36乗
正(せい)……10の40乗
載(さい)……10の44乗
極(ごく)……10の48乗
恒河沙(ごうがしゃ)
     ……10の52乗(恒河とは、ガンジス川のことです)ガンジス川の無数の砂。
阿僧祇(あそうぎ)
     ……10の56乗
那由他(なゆた)
    ……10の60乗
不可思議 ……10の64乗
無量大数 ……10の68乗

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2011年4月 1日 (金)

限りなき生命の歓喜を

高森顕徹先生の『歎異抄をひらく』2部18章に、
親鸞聖人唯一のメッセージは、限りなき生命の歓喜を獲る以外に人間として生まれた目的は無いのだと教えておられることを、親鸞学徒の皆さんと拝読しました。

『煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、
 万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、
 ただ念仏のみぞまことにておわします(『歎異抄』後序)

火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、
そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない。ただ弥陀より賜った念仏のみが、まことである。

「ただ念仏のみぞまことにておわします」
 みな人よ、限りなき生命の歓喜(摂取不捨の利益)を獲て、ただ念仏するほか、人と生まれし本懐はないのだよ』

 聞法の目的は、病気や災害、事故や災難に遭わない為ではなく、人生出世の本懐を果たす為の聞法であることを、皆さんと共に確認していきます!

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2011年3月29日 (火)

今日は他人の身、明日は我が身

hairsalon散髪の待ち時間に、隣の人がこんなことを言っていましたear

「昔、おばあちゃんが、ビゲンの白髪染めを洗面器に入れて、
 ヘラでのばして髪につけていたのを見ていたけど、
 まさか、今、自分がするようになるなんて、思ってもなかったよsweat02

 日常の一言一言が、「今日は他人の身、明日は我が身」の仏説を教えてくれているんだなあ、と知らされました。

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2011年3月27日 (日)

念仏者は無碍の一道なり

今日は、高森顕徹先生の御著書、『歎異抄をひらく』についてのテレビ座談会でした。

「念仏者は無碍の一道なり」(歎異抄第7章)

 この一行の解釈をめぐって、「念仏者は無碍の一道である」とするか、「念仏は無碍の一道なり」とするか、「者」の解釈を、「は」と読むか「人」とするか、で分かれていることを教えて頂きました。
 たった一字の違いが、大違いです。
 その一字の正確な意味を知るには、「念仏」の正しい意味を知らねばなりませんし、間違った解釈をすれば、前後の合わない部分を埋めるために、どう誤魔化していくか?と苦労せねばなりません。

『歎異抄をひらく』で明らかにされている「念仏」の正しい意味を聞かせて頂ける事が、いかに聞き難いことか、と強く知らされました。

親鸞学徒の皆さんと、続けて信心の沙汰をしていきたいと思いますhappy01

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2011年3月25日 (金)

「真実」と「方便」

親鸞学徒の皆さんと、信心の沙汰をしました。

「真実」と「方便」について、の話になり、一般的に言われる「方便」と、仏教で教えられる「方便」の違いについて、確認をしました。

一般的には「方便」と聞くと、「ああ、嘘も方便といわれる『方便』ですね」となりますが、
・有っても、無くても良い
・無いよりは有ったほうが良い
嘘ならば、
・有るよりも無い方がよい
と思うかもしれません。

 しかし、仏教で教えられる「方便」は、「真実を知るに絶対必要なもの」を「方便」と教えられます。
ですから、真実を求める私達にとりまして、「方便はいらない」「方便は必要ない」ということは、ありません。

 蓮如上人仰せられ候、「方便を悪しということは、有るまじきなり。
 方便を以て真実を顕わす廃立の義よくよく知るべし。
 弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をば獲ることなる」
 由仰せられ候と云々。       (御一代記聞書)

蓮如上人の仰有る御文を教えていただいて、改めて知らされましたhappy01

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2011年1月10日 (月)

生きる大前提

今日は、テレビ座談会でした。
『なぜ生きる』1部8章を通して、教えて頂きました。

私達が生きるには、何かを信じなければなりません。生きる私達の実態は、どうか?このことを確認しなければ、先へは進めないとお聞きして、ハッとしました。

何も頼りにせずに生きる人はありません。よりしっかりした物を求めています。
もし、頼りにしている財布を落としたら……、もし頼りにしている人を失ったら、いえ、一番頼りにしている肉体を失うとなったら……

大前提は、何かを頼りにせねば生きておれない事なのだと、強く知らされました。

絶対に裏切らない、弥陀をたのむ身にならねばならないです!

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2011年1月 4日 (火)

初聞法会

1月3日、親鸞会館でのご法話に、親鸞学徒の皆さんと参詣しました。

正信偈の冒頭から、親鸞聖人が「帰命無量寿如来、南無不可思議光」と、弥陀に救われられたことを仰有っていますが、それは信楽に救われたことであり、信楽とは他力の信心であることを、教えていただきました。

私達の信心と、弥陀より賜る他力の信心は、全く違うものであることを、重ねて聞かせて頂きました。
仏法を聞かせて頂く目的は、他力の信心を獲得する為であり、この世のもの全ては、私達が信楽の身になる為に存在する、この目的が抜けてしまったら、何もなくなることを、何度も確認せねばならないと思いました。


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