モーリー

2012年9月27日 (木)

暑さ寒さも彼岸まで

今年は、特に「暑さ寒さも彼岸まで」と実感がわきますね。
そういえば、先日、花屋でお仏花を求めに入ったところ、店先にこんな展示が。

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彼岸に墓参りに行ったり、一番気に掛かるのは、亡くなった後のことなのは隠せないですね。。。
後生暗い心の解決こそ、仏法を聞く目的です。
聞法精進しましょうhappy01

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2011年4月15日 (金)

光に向かって

すべての人は、幸福になりたい、と思って生きています。
政治は、この政党からこの政党に変われば幸せになれると信じて、この法律が改正されたら幸せになれると信じて、
経済なら、お金が無いよりも有った方が幸せになれると信じて、
科学ならば、電気や機械の無い暮らしよりも、発電量も増やして家電製品から自動車に至るまで、機械があれば幸せになれると信じて、
医学ならば、病気やけがで苦しんでいる時は、この病気さえ治れば幸せになれると信じて、少しでも長生きできれば幸せになれると信じて、

私たちの営みはみんな、幸せになりたいと願ってのことに違いないと思います。
そのために、政治があり、経済が有り、科学があり、医学の進歩があるはずです。

幸せに向かってがんばろう。ということは、政治がよくなれば幸せになれると信じてがんばろう、経済がよくなれば幸せになれると信じてがんばろう、という意味だと思いますが、頑張った先の幸せが本当の幸せかどうかは、あまり話題にされず、頑張ることそのものが良い、という声もよく聞きます。

頑張れば幸せになれるのか?頑張った先に本当の幸せがあるのか?
心の奥底からの願いは、その答えを知りたいという願いではないでしょうか。
もし頑張った先が、苦しみ悩みの連続だったり、頑張った先に別の苦しみがやってくるならば、「頑張りましょう」という言葉そのものが、「最後は、苦しみましょう」に変わってしまいます。これでは、大変な悲劇です。

本当の幸せを「光」という字で表され、「光に向かって」幸せな道を勧められた親鸞聖人の教えを、これからも皆さんと一緒に聞かせていただきたいと思いますhappy01

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2011年4月14日 (木)

桜が開き始めました

近所でも、桜がようやく開き始めました。
今年はやっぱり、といいますか、大雪もあって、桜の開花が遅れ気味でしたが、ようやく桜が見頃となりましたhappy01

ソメヨシノだけではなく、山桜も よく見かけます。山桜は同じ辺りに植えられていても、木によって花が咲くタイミングが異なります。一本、一本の花、なんですね。それは、ソメヨシノでも同じだそうです。というのも、ソメヨシノも山桜からの交配で出来た品種なので、一本、一本、全部の桜で一斉に花開く、というわけではないそうですcoldsweats01

桜から感じることも、いろいろ有ります。

散る桜 残る桜も 散る桜」という歌を詠んだ人もあり、映画の中に出てきたこともあり、桜に関するエピソードは多いですよね。

親鸞聖人が9歳で出家なされる時に詠まれた歌も
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
と、桜を詠まれています。

桜から知らされることが、多いと知らされますup
だから、花見は古くから続いている、この季節の行事の一つなのかもしれませんね。


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2011年3月24日 (木)

本当の救助

目を覆うような震災のニュースが連日、報道されています。心を痛める毎日です。

 私も神戸の震災の時、ちょうど高速道路が倒壊した様子が繰り返し映し出されていましたが、そこから数百メートルの所に住んでいました。死を覚悟した瞬間でしたが、あの時の激震の1000倍とも言われる今回の津波のエネルギーは、想像も出来ないほどの大きさです。

 家も失い、生きる事さえままならない被災者の方々が、生活を取り戻されるまでには長い年月が掛かると思わずにいられませんが、出来る限りの救援をできないかと、思います。
 テレビでも「今までの人生なんだったのか……、と思います」という被災者の声を聞いて、16年前の神戸で同じ言葉を耳にしたのを思い出しました。
 ニュースの度に、想定外の津波の被害の大きさが、改めて知らされます。
 
 一日も早い復興を願うとともに、かなう事ならば、仏縁にあわれ、絶対に裏切られることのない真の幸福を教えられた親鸞聖人のみおしえを聞かれるように願わずにいられません。それこそ、本当の救助活動になると思います。真の復興を目指して、精一杯のエールを送りたいと思います!

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2010年9月 6日 (月)

恩徳讃

9月5日は、親鸞会館にて高森顕徹先生のご説法を聴聞させていただきました。

親鸞聖人の書き残された正信偈を通して、教えていただきました。
一字一涙の御心で書き綴られた120行の正信偈は、親鸞聖人の恩徳讃の御心がぎゅーっと収まったお言葉です。

恩徳讃とは、
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」
と、ご法話の後に参詣された皆さんと一緒に歌いますが、私が福徳(=幸福)にならせて頂いた原因を知る(=恩)ということです。

恩とは、どういうことか?と言いますと、原因を知る心ということです。どんなことにも原因があります。どうしてこのようなことになったのか、幸福なことにも不幸なことにも必ず原因があります。
 今交通事故にあって苦しんでいるという悪い、苦しい結果が返ってきているのです、その原因はなにか?
 あるいはとても幸せであるとしたならば、その原因を正しくしることが自分が向上して、幸せになれる道です。

徳とは福徳ということですから、大変幸せなことだということです。

親鸞聖人今は自分は大変幸せであるということです。このように幸せになれたのはどなたのおかげであるのか、どうしてなのか?その幸せが大きいければ大きいほど、御恩に感謝し、その御恩に報わせて頂く気持ちも大きくなります。

その御心を歌われたご和讃が、恩徳讃ですが、如来大悲の恩徳と、師主知識の恩徳の深きことを知らされた親鸞聖人が、身を粉にしても、骨を砕いても、報恩謝徳せずにおれない、とても報いることは出来ない、との御心を歌われ、90年の生涯のご活躍があるのだと、知らされました。

御恩を知り、御恩に感謝し、御恩に報わせて頂く、親鸞学徒にならねばならないと思いましたsun

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2010年7月25日 (日)

分かったような気になっている

今日は、高森顕徹先生のテレビ座談会に参詣しましたhappy01
『歎異抄をひらく』という御著書を通して、質問が出て、お答え頂きました。

分かったような気になっていて、その実は分かっていない、そんな聞き方ではいけないと、反省させられました。

自転車に乗っている向かいの奥さんに出会って
「今日は、どちらまで?」
「ちょっとそこまで♪」
「ああ、そうですか(*^.^*)」
「では、失礼します」
なんていう会話を見かけたりしますが、この奥さん、一体、どこへ出掛けていくんでしょうか?「ああ、そうですか」と返事をしている人も、奥さんがどこへ行くか??分かっているんでしょうか?

何となーく、分かったような気になっていて、実際は、分かっていませんねcoldsweats01

仏法は、この様な「なんとなく、分かった気になっている」聞き方では、いけない、と教えて頂きます。
分からなければ分かる人に尋ねて、重ねて聞法のご縁を求め、親鸞聖人のみ教えを、正確に聞き求め、皆さんにお伝えしたいと思います!

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2010年7月 8日 (木)

世々生々の父母兄弟

テレビ座談会に参詣しました。

袖振れ合うも多生の縁」ということわざが有ります。
袖を触れ合うということも、隣に座るということも、その一つの結果が現れるには、どれほどの縁、どれほどの関係があったか知れません。

ましてや、隣に座るどころではない、親となり、子となり、兄弟となり、共に生きているという結果には、どれほどの因縁果あるか、知れません。それは、1日は2日、1ヶ月や2ヶ月、1年2年、いや10年、20年でもない、100年200年でもない、何千年というぐらいではない、多生・億劫・昿劫という生命の中での因縁があってのことです。
 親鸞聖人が教えられた仏教で説かれる人生観が知らされますと、みな、父母兄弟であり、懐かしい方々だと知らされます。

歎異抄には
「そのゆえは、一切の有情は皆もって世々生々の父母兄弟なり。」(歎異抄第5章)と書かれています。

袖が触れ合う、親子・兄弟の関係になるということさえも、「多生の縁」と言われるのですが、親鸞聖人は、
「噫、弘誓の強縁は、多生にも値いがたく」
と仰言り、
「ああ……なんたる不思議か、親鸞は今、多生億劫の永い間、求めつづけてきた歓喜の生命を得ることができた。これはまったく、弥陀の強いお力によってであった。深く感謝せずにおれない。」
と人生の目的を完成なされた驚きと喜びを仰言っています。

『なぜ生きる』の中の、親鸞聖人が教えられた人生観、生命観に立ったお言葉が溢れている事に、感動の1日でしたhappy01

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2010年6月21日 (月)

教科書に書いてあるから常識?

親鸞会館にて、『歎異抄をひらく』を読まれた方の質問を通して、親鸞聖人のみ教えを聞かせていただきました。

『「念仏を称えたら誰でも極楽へ往ける、と教えたのが親鸞聖人」という、広く世にひろまっている迷妄がある。』と書かれた一節があります。
歴史の教科書にまで載っている、親鸞聖人への大きな誤解です。
ですが、教科書に載っているから間違いない、と多くの人が信じています。私も高校生の時の日本史の教科書で読んで、高森顕徹先生から聞かせていただくまでは、この様に思っていました。

ですが、教科書に載っているから、本当に間違いないのでしょうか?

私も覚えましたが、「1192作ろう鎌倉幕府」の語呂合わせが懐かしいhappy01ですけど、最近の教科書には、鎌倉幕府の成立は1185年説が掲載されているそうですcoldsweats02
『いつのまにか変わってる 地理・歴史の教科書』とか、『こんなに変わった歴史教科書』という本まで出ています。間違いないと信じ込んでいる教科書の記述も、流動的のようです。教科書に書いてあるから常識、という一文は、通用しないようです。

本当に教科書に書かれていることが正しいかどうか?は、正確な根拠に基づいて判断せねばなりません。

親鸞聖人が本当に、「「念仏を称えたら誰でも極楽へ往ける、と教えた」方なのかどうかは、親鸞聖人にお尋ねするほか、ありません。

親鸞聖人直筆の正信偈には、
「速入寂静無為楽 必以信心為能入」
「正定之因唯信心」
極楽浄土に往くには、必ず信心を以て極楽へ往くのだと明らかに仰言っています。
実際に、歎異抄にも、
「弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず、ただ信心を要とすと知るべし」(『歎異抄』第一章)
と、ハッキリ書かれています。

教科書に書かれているから正しいのか、それは正確な根拠に基づいて書かれている内容なのか、正しい判断が必要ですねhappy01

今日もとても大切なことを聞かせていただいて、終わった後も親鸞学徒の皆さんと、信心の沙汰で盛り上がりましたhappy01

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2010年6月19日 (土)

草の根っこが深い

今日は、親鸞学徒の皆さんと、ドメイン大掃除でした。
駐車場のそばにある芝生の草取りをしましたsportssportssports

タンポポ……小さな時は雑草とは思っていませんでしたが、芝生の中では雑草です。しかも、根っこが深いのです。。。そういえば、小学生の時に、タンポポの根っこがどれくらい有るか?と掘ったことがありました。途中で挫折したほど、深かったのを覚えていますcoldsweats01

タンポポの花が終わると、白くなって、息を吹きかけると フーーッと空へ舞って飛んでいきましたhappy01
綺麗だなあと思って眺めていたのが、実は、タンポポの作戦であり、また新たな深い根っこをはり、新たなタンポポが生育していきます。

同じタンポポを眺めているのに、あのころは「きれいだなあ」と思っていたのが、今は「なんて根っこが深いんだ……」と思っています。

この根っこが深い為に、芝生に必要な土の養分を持って行かれてしまうので、芝生を守る為にもタンポポ取りが必要なわけです。

黄色い花だけを取っても駄目です。根っこが残っていると、また元気よく生育していきます。深い根っこから取らねばなりません。今日は一日、タンポポの根っことの格闘でしたcoldsweats01
草取りは、骨の折れる作業だと、改めて知らされた思いです。

日常生活の中でも、「根っこが深い」と、よく使います。問題の根っこが深いと言えば、なかなか解決出来ない深刻な問題、改善の難しい悪い体質などを表します。表面だけを解決しても、根っこが残っていれば、問題は再発してしまいます。

草取り、、、本当は、根っこ取り。
いろいろな苦しみ悩みも、表面だけを解決していては、本当の解決にはならず、再燃します。
取り組んでいる問題と、深い関係があるなあ、と思いながらの一日でした。
苦しみ、悩みの解決に向けて、これからも取り組んでいきたいと思いますhappy01

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2010年6月18日 (金)

水道管の破裂で知らされること

6月17日、富山県高岡市で水道管の破裂による浸水事故がありました。
地元チューリップテレビのニュースからの引用です(記事はこちら

17日午前11時半ごろ、高岡市大坪町の国道156号線で、地下に埋設してあった水道管が破損し、道路が水浸しになりました。近所の住民から通報を受け、高岡市は急きょ水道管の取替え作業を行いました(引用終わり)

日頃は何も気にせずにひねっている水道の蛇口ですが、我が家の水道の蛇口をひねると水が出るのは、家まで水道管が引かれているから、なんですね。水道管が破裂すると、たちまち断水、水は出ません。水を飲むことも、料理を作ることも、顔を洗うことも、お風呂にはいることも、出来ません。目に見えずとも、地下に埋設されている水道管があったなればこそ、の恩恵であったと知らされます。そこには、水道管を作った人の苦労もあり、水道管の工事をした人もあり、どれだけのご恩があったか、知れません。

今、親鸞聖人のみ教えを聞かせていただけるのは、私まで親鸞聖人の教えを伝えて下された方がおられたから、こそであります。当たり前のように教えを聞かせて頂いていますが、私に届くまでにどれだけの苦労があったか知れません。

聞かせて頂けたご恩を知り、感謝し、少しでもご恩返しをさせて頂きたいと思いますhappy01

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