書籍・雑誌

2010年12月 2日 (木)

断捨離って?

今、何かと話題を呼んでいるのが『断捨離』という本です。
片付け方法の実践ということで、いろいろな雑誌や番組で取り上げられているみたいですが、その意味を聞いて、なるほど、と思いました。

 不必要な物が、入ってくることを「断ち」
 いらない物を 「捨て」
 手放したくない執着から「離れる」

 整理整頓が出来ない人は、この断捨離の実践が出来ない、コントロールできない、という考え方だそうです。高野山で、この様な道場に通ったとか聞きました。ちなみに、断捨離を実践している人を、ダンシャリアンと呼ぶらしいです。。。

「欲しい」と思っても、「本当に今、必要か?」冷静に考えてみれば、2~3日も考えれば、「やっぱり要らない」という物が、ほとんどではないか、と思います。私たちの欲の心は底がありませんから、
「あれが欲しい、これが欲しい、金が欲しい、物が欲しい、薄型テレビが欲しい、新しい携帯電話が欲しい、……」きりがありません。欲をかき立てる情報や物に溢れ、これでもか!これでもか!といわんばかりです。

そして、この〝断捨離〟は手段であって、目的が大事だ、とご本人のページからの引用です。

私たちは、片づけるために、生まれてきたのではないですよね。
私たちは、収納するために、生まれてきたのではないですよね。
私たちは、掃除をするために、生まれてきたわけではないですよね。

生まれてきた理由は、やはり、幸福な人生を歩むため。
(ここまで)

なるほど!そうですよね。私たちは片づけをするために生まれてきたのではないですし、掃除をする為に生きているのでもありません。
目的がハッキリしてこそ、手段が大事になります。

同じように、一世を風靡した『超・整理法』の著者・野口悠紀雄氏も、著書「超整理法:時間編」の中で

「私たちの持っている時間は有限。それをいかに有効に使うか。
 それには、まず最初に人生の目的を把握しろ、と教えている。
 目的を把握しないで行動しても、労多くして功少なしである。」

と書いていました。

 整理整頓や掃除が大切なのも、より良く生きる為でしょう。では、より良く生きるとは?どうすれば、より良い人生になれるのでしょうか?良い人生とは、幸せな人生ということですが、何を求めれば幸せな人生となるのでしょうか?

 その生きる目的をハッキリ教えられたのが、お釈迦様であり、親鸞聖人です。

 しかし、この「断捨離」の実践は、物が片付きそうですねwink

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2009年2月26日 (木)

骨折れば より強くなる 何事も

私も失敗した時、反省する時、とても勇気づけられる言葉です。メモを残しておきます。

「骨折れば より強くなる 何事も」

 ただ骨を折っていたのでは、時間も労力も無になってしまいます。そこから、強くなるぞ!の強い気持ちが、新たな道を生み出すのではないでしょうか?

 日本の幕末に、坂本竜馬の弟子として活躍した陸奥宗光という人がありました。
 明治政府の高官として活躍していたのですが、ある反政府運動に加担していたという容疑で、突然、逮捕されたのです。
 陸奥は関与を否定しながらも
「まったく軽率であった。愚かであった」
と反省しました。 事実でないにせよ、疑われるような言動をとったことは、政治家として大失敗でありました。

 その後、五年の禁固刑を言い渡され、山形県の監獄に送られます。
 ここで、落ち込んで、もう駄目だと思っていたら陸奥の名前は歴史に残ることはありませんでした。
「この機会に、勉強して自分を磨こう!」 と決意した陸奥は、監獄の中で猛勉強を始めたのです。
 獄中から妻にあてた手紙には
「毎朝、8時ころより、夜は12時まで、努めて本を読んでいる。一日も怠ることはない」
と書いています。 まさに身を削る猛勉強でした。

そこまで、彼を支えたものは何だったのか。監獄の中で執筆した「面壁独語」の中で坂本竜馬の言葉を回想しています。 竜馬はこの様に言ったそうです。

『人間、一度、目的を心に抱いたならば、いかにして達成するか、常に考え抜かねばならない。決して、弱気を起こしてはならない。
死ぬときは、たとえ、いまだ目的を成就するには至らなくとも、必ず、その目的に向かって前向きに倒れるべきである』

これは名言だと思わずにおれないです。明治維新を見る前に、暗殺された竜馬の精神が、陸奥の中に生きている、と言われています。
この前向きな姿勢が、人生最大の挫折を、飛躍のチャンスに転じさせたのだと思います。
陸奥は、監獄の中で徹底的に勉強し、混迷する日本の取るべき道を研究し、刑期を終えた後、更に勉学を続け、外務大臣に就任しています。日本の外交の父とまで、讃えられるようになったのは有名ですね。

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2009年1月21日 (水)

ままにならぬとおひつを投げりゃ、そこらあたりは ままだらけ

ここ2日で、アクセスが伸びてきた気がします。嬉しいですnotesちなみに、グーグルで「モーリー便り」で検索を掛けると、2番目にヒットします。へえぇってこちらが驚きました。

今日は、私も目にして気になった歌を、忘れないように書いておこうと思います。

「ままにならぬとおひつを投げりゃ、そこらあたりは ままだらけ」

わがまま(まま)にならないからといって、ご飯のおひつを投げたらどうなるか?そこら中にご飯(まま)が飛び散って、まま(ご飯)だらけ、になります。こんな話が、イソップ物語にありました。

中年の男が二人の女性と恋愛していた。
一人の女性は彼よりもずーっと若く、もう一人は、幾つか年上だった。
若いほうの女性は少しでも彼が若く見えるように、夕食後、膝枕にした彼の頭の白髪を、一本一本丹念に抜いてゆく。

ところが年上の女性は、彼が自分よりも、若く見られることを嫌っている。
そこで朝食後、彼の頭の黒い毛を一本一本入念に抜いた。
しまいに男は丸坊主になってしまった。

話の終わりには、
「あちらにもこちらにも良くすると、自分の身が立たなくなる」
と書かれてありました。

財産があると思えば子供がない。いかにあがいても恵まれない。
子供が沢山あると思えば財産がない。どんなに働いても金ができない。
奇麗な顔していると思えば背が低い。終日運動してもどうにも伸びない。
すらりとしていると思えば顔がいただけない。どんな美顔整形しても、地が悪いからムダである。
世の中、思うままにはならないようですね。

思うままにならないだけに、したい放題、言いたい放題、やりたい放題、(これが、自分の本性だと、つくづく知らされますが)その己を通してばかりいては、最後に残るのは、惨めな自分だけ……ということになるかもしれません。

別な視点から見てみますと、ちょっと気を抜くと、玄関に入っても靴を脱ぎっぱなし。台所にある食事をつまみ食いして、食べるだけ食べても皿は片付けない……脱いだ服は脱ぎっぱなし。今で脱いだ靴下がそのままになっていて、「お父さん、靴下くさーい」なんて娘に言われたり……

気が付いたら、どうですか?そこら中は散らかって、そんな人に愛想つかされて、誰も近寄ってくれなくなるやもしれません。

習慣となってしまえば何でもない事でも、ついつい自分のやりたい方に、やりたい方に、と流れていきがちな自分です。だからこそ、やりたい放題していたらダメなんだなあ、と自分に言い聞かせて、しなきゃならない事は、一つ一つ、やっていきたいものです。

最後は、自分に言い聞かせて。。。。今日のモーリー便りでした。

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2009年1月15日 (木)

福の神はいらんかね?

皆さんは自分にいやな事が次々にやってきたらどうしますか?
久しぶりにイソップ物語からです。
「福の神はいらんかね」

 ある男が、木彫りの神像を作って市場で売っていた。
 見るからにありがたそうな格好だが、さっぱり売れない。なんとか客を集めようとして、大声で叫んだ。
「商売繁盛の、福の神はいらんかね」

 すると、通りかかった男が、冷やかした。
「おい、そんなにありがたいものなら、どうして売るのだ。自分がそのご利益にあずかればよいじゃないか。だいたい、おまえの店は、さっぱり繁盛していないぞ」

 ちょっと考えれば、おかしいと分かるようなことが、世の中に横行している。それは、二千年以上も前のイソップの時代も、現代も変わらないようだ。
 順境の時には冷静に判断できることでも、病気や災難などの不幸が続くと、人間は心が弱くなり、インスタント的「ご利益」を強調するものに迷いがちである。
 逆境の時こそ、落ち着いて物事を判断しなければならない。

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2009年1月12日 (月)

備えあれば憂い無し。

イソップ物語、子供向けの話かと思っていたら、実に奥が深いです。

危険は不意にやってくる。普段からの備えが大切、ということを教えてくれる「牙を研ぐイノシシ」のお話です。そのまま引用しますね。

イノシシが、木の側に立って、牙を研いでいた。
キツネが、不審に思って尋ねた。
「猟師もいないし、危険が迫っているわけでもない。なぜ、そんなに一生懸命、牙を研ぐんだい」
イノシシは、あきれた顔で答えた。

「君には、無意味に思えるのかい。危険は不意にやってくる。猟師が現れてから牙を研ぎ始めたのでは、間に合わないじゃないか」

諺にも、「備え有れば患いなし」とあるように、賢明な人ほど、「もしも」という事態を想定し、平生から対策を講じている。
たとえば、家を建てる時には、火災への備えを万全にする。
車を買ったら、事故に備えて、補償額の十分な保険に加入する。
緊急事態が起きてから、あわてても手遅れだからだ。

では、人間にとって、一生涯に遭遇する最大の危険、恐れ、悲しみとはなんだろうか。
それが、「自分の死」であることは、誰も否定できない事実であろう。
火災や交通事故と違って、一〇〇パーセント確実に襲ってくる「死」に対して、どのように精神を安定させるのか。
今一度、考え直してみる必要があろう。

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2009年1月11日 (日)

あなたのゴールは何だろう?

伊藤真の『夢をかなえる勉強法』という本からプロローグの部分を紹介します。

・・・・・・・・・・

ただやみくもに勉強すればいいというものではない。
やはり、そのための方法論「夢をかなえる勉強法」が必要である。
夢をかなえる勉強法でいちばんのポイントとなるのは「ゴールからの発想」だ。

ゴールには目先の「試験に合格する」という小さなゴールもあるし、その延長線上にある「人生の夢をかなえる」という大きなゴールもある。

いずれのゴールにしても、到着点が明確でなければ、どこに向かって走っていけばいいかわからない。

ゴールがはっきりしていないため、とんちんかんな方向に走ってしまい、いつまでも到着できずつぶれてしまう人や、ゴールのすぐ近くまで来ているのに、気づかないで挫折してしまう人もいる。

まずはゴールを定めることだ。

ここで考えてほしい。
あなたのゴールは何だろう?
それは本気で心の底から望んでいることなのか?
何かを捨ててでも、手に入れたいものなのか?
---------------
ゴールを見定めて、苦しいときも乗り越えていきましょう(^_^)v

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2008年7月11日 (金)

イソップ物語は人生の教訓だった!?

イソップ寓話って知っていますか?
この前から、少しずつ読んでいるんですが、「イソップ寓話」は、子供向けに作られた話ではありません(・_・)......ン?
本当は、大人のための、人生の教訓だったのです。

イソップは、二千五百年ほど前の人で、ギリシャの奴隷であったといわれています。
何の発言権もない、弱い立場にあった彼は、動物を利用した例え話を作って、周りの人に注意したり、アドバイスしたりしていたのです。

イソップの話は、実にうまく、聞く者の心をとらえました。
人から人へ語り継がれるうちに、世界各国へ広がり、その国に合うようにアレンジされてきたと言われています。

また機会があれば、そんなイソップ寓話も紹介していきたいと思います。
知らない話、知っていたけど意味を知らなかった話、いろいろあると思いますよ。
では、また(*^_^*)

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2008年6月 6日 (金)

「懸命に」

よく、「懸命に」という言葉を聞きます。
字を見ると「命を懸けて」ということになります。

「命懸け」という言葉もあり、「命懸けで頑張ります」というように使いますね。

では、本当に「命」をかけているでしょうか。
「もし出来なかったら死にます」
ということですが、死ぬ気など全然ないのが本音でしょう。

「あなたがいなくなったら死んじゃう」
と女性に引き止められたら、
男性は降参するしかありません。
しかし、言っている女性に、一体どれ程死ぬ気があるのでしょうか。

女性作家の山田詠美はある短編集の中で、それは「ずる」であると言っています。

「『死ぬ』と言って死なないのはずるである。
女性は、ずるによって男性を引き寄せるのである。
女はずるい。私は女性の性的有様が嫌いである。

少し説明を加えると、男性を意識した媚態が嫌なのである。
男好みに反応するのが、我慢出来ないのである。

―中略―

そうだ、私は、『死ぬ』と口走って死なない女が嫌なのだ。
そして、多くの男性は、そういう女を好みとしているので、そこも気にくわないのである。

―中略―

この高等技術は、性のみならず端的できれの良いあらゆる世界に蔓延しつつある。」

自分がそうだから、他人が命懸けで約束していても
「どうせウソだろう」
と信用しないのが普通になっています。

しかし、それでは本当に命懸けでされた約束でも軽く考えてしまい、
永久に取り返しのつかないことになる危険があります。
言葉遣いには最大の注意を払わねばなりませんね。

それでは(^◇^)ρ

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2008年3月26日 (水)

命懸け

友人と話をしていた時に、聞いたことです。考えさせられました。

よく、「懸命に」という言葉を聞きます。
字を見ると「命を懸けて」ということになります。

「命懸け」という言葉もあり、
「命懸けで頑張ります」というように使いますね。

では、本当に「命」をかけているでしょうか。
「もし出来なかったら死にます」
ということですが、
死ぬ気など全然ないのが本音でしょう。

「あなたがいなくなったら死んじゃう」
と女性に引き止められたら、
男性は降参するしかありません。
しかし、言っている女性に、
一体どれ程死ぬ気があるのでしょうか。

女性作家の山田詠美はある短編集の中で、
それは「ずる」であると言っています。

「『死ぬ』と言って死なないのはずるである。
女性は、ずるによって男性を引き寄せるのである。
女はずるい。私は女性の性的有様が嫌いである。

少し説明を加えると、
男性を意識した媚態が嫌なのである。
男好みに反応するのが、我慢出来ないのである。

―中略―

そうだ、
私は、『死ぬ』と口走って死なない女が嫌なのだ。
そして、多くの男性は、
そういう女を好みとしているので、
そこも気にくわないのである。

―中略―

この高等技術は、
性のみならず端的できれの良い
あらゆる世界に蔓延しつつある。」

自分がそうだから、
他人が命懸けで約束していても
「どうせウソだろう」
と信用しないのが普通になっています。

しかし、それでは本当に命懸けでされた約束でも
軽く考えてしまい、
永久に取り返しのつかないことになる危険があります。
言葉遣いには最大の注意を払わねばなりませんね。

それでは(^◇^)ρ

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2008年3月25日 (火)

一番大切なことができなかった

ある農夫が、朝早く起きて畑を耕そうとした。
ところが、トラクターの燃料が切れていたので近くまで買いに行った。
途中で、豚に餌をやっていないことを思い出して、納屋に餌を取りに行った。
すると、ジャガイモが発芽しているのを発見した。
これはいけないと思い、ジャガイモの芽を取っているうちに、暖炉の薪がなくなっていることを思い出して薪小屋へ足を運んだ。
薪を持って母屋へ向かっていると、ニワトリの様子が変である。
とりあえず応急処置をほどこして、薪を持って母屋にたどりついた頃には、日が暮れていた。
農夫は、なんとせわしい一日であったと思いながら、
『一番大切な畑を耕すことができなかった』ことに気づいたのは、寝床に入ってからであった。」

これは、「眼からウロコが落ちる本」(笠巻勝利著、PHP文庫)に出てくる寓話です。
人の一生を象徴しているような話ですね。

起きてくる様々な出来事に対応しているうちに人生が終わってしまい、
「一番大切なことに手をつけるヒマがなかった・・・」
なんてことには、なりたくないですよね。

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