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2010年9月 6日 (月)

恩徳讃

9月5日は、親鸞会館にて高森顕徹先生のご説法を聴聞させていただきました。

親鸞聖人の書き残された正信偈を通して、教えていただきました。
一字一涙の御心で書き綴られた120行の正信偈は、親鸞聖人の恩徳讃の御心がぎゅーっと収まったお言葉です。

恩徳讃とは、
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」
と、ご法話の後に参詣された皆さんと一緒に歌いますが、私が福徳(=幸福)にならせて頂いた原因を知る(=恩)ということです。

恩とは、どういうことか?と言いますと、原因を知る心ということです。どんなことにも原因があります。どうしてこのようなことになったのか、幸福なことにも不幸なことにも必ず原因があります。
 今交通事故にあって苦しんでいるという悪い、苦しい結果が返ってきているのです、その原因はなにか?
 あるいはとても幸せであるとしたならば、その原因を正しくしることが自分が向上して、幸せになれる道です。

徳とは福徳ということですから、大変幸せなことだということです。

親鸞聖人今は自分は大変幸せであるということです。このように幸せになれたのはどなたのおかげであるのか、どうしてなのか?その幸せが大きいければ大きいほど、御恩に感謝し、その御恩に報わせて頂く気持ちも大きくなります。

その御心を歌われたご和讃が、恩徳讃ですが、如来大悲の恩徳と、師主知識の恩徳の深きことを知らされた親鸞聖人が、身を粉にしても、骨を砕いても、報恩謝徳せずにおれない、とても報いることは出来ない、との御心を歌われ、90年の生涯のご活躍があるのだと、知らされました。

御恩を知り、御恩に感謝し、御恩に報わせて頂く、親鸞学徒にならねばならないと思いましたsun

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