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2010年6月 1日 (火)

多生にも値えない先生

親鸞聖人の人生観は、わずか50年か80年の人生ではなく、私たちの永遠の生命に立たれての人生観、生命観であると、聞かせていただきます。

袖触れ合うも多生の縁だと言われますが、親鸞聖人が「多生」と仰言っているお言葉に、

「昿劫多生のあいだにも 出離の強縁しらざりき
 本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし」

というお言葉があります。

 昿劫も多生も同じ意味ですが、そんな果てしない過去から、生まれては死に、生まれては死にを幾度と無く繰り返した、永遠の魂の歴史の中で、昿劫多生の間にもお会いできない先生にお会いできた喜びを仰言ったお言葉です。
 本師とは、本当の先生、まことの先生という意味です。源空とは法然上人のことです。

 人生において「先生」と言われる人に、何人も出会います。
 小学校、中学校、高校、大学の先生。野球やサッカーの顧問の先生、部活動の指導の先生、茶道や華道の先生、お医者さん、弁護士さん、いろいろな先生に出会い、その時、その時、教えてもらったことが多いのですが、「人生の師」どころでない、「多生の師」と言われる先生に、これまでお会いできたでしょうか……

「多生にもお会いできない先生にお会いできて良かった!」

 一生や二生では会えない先生とは、よほどの事を教えて下される先生に違いありません。
 永遠の魂の歴史の上に立たれて「多生にも値えない先生にお会いして、教えを受けることが出来て、本当によかった」と仰言っているのは、とても重みのあるお言葉だと、知らされます!wobbly
 いったい、何を教えて下される先生が、多生にも値えない先生なのでしょう?
 そんな親鸞聖人の教えを、重ねて聞法したいと思いますhappy01

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