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2010年6月

2010年6月21日 (月)

教科書に書いてあるから常識?

親鸞会館にて、『歎異抄をひらく』を読まれた方の質問を通して、親鸞聖人のみ教えを聞かせていただきました。

『「念仏を称えたら誰でも極楽へ往ける、と教えたのが親鸞聖人」という、広く世にひろまっている迷妄がある。』と書かれた一節があります。
歴史の教科書にまで載っている、親鸞聖人への大きな誤解です。
ですが、教科書に載っているから間違いない、と多くの人が信じています。私も高校生の時の日本史の教科書で読んで、高森顕徹先生から聞かせていただくまでは、この様に思っていました。

ですが、教科書に載っているから、本当に間違いないのでしょうか?

私も覚えましたが、「1192作ろう鎌倉幕府」の語呂合わせが懐かしいhappy01ですけど、最近の教科書には、鎌倉幕府の成立は1185年説が掲載されているそうですcoldsweats02
『いつのまにか変わってる 地理・歴史の教科書』とか、『こんなに変わった歴史教科書』という本まで出ています。間違いないと信じ込んでいる教科書の記述も、流動的のようです。教科書に書いてあるから常識、という一文は、通用しないようです。

本当に教科書に書かれていることが正しいかどうか?は、正確な根拠に基づいて判断せねばなりません。

親鸞聖人が本当に、「「念仏を称えたら誰でも極楽へ往ける、と教えた」方なのかどうかは、親鸞聖人にお尋ねするほか、ありません。

親鸞聖人直筆の正信偈には、
「速入寂静無為楽 必以信心為能入」
「正定之因唯信心」
極楽浄土に往くには、必ず信心を以て極楽へ往くのだと明らかに仰言っています。
実際に、歎異抄にも、
「弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず、ただ信心を要とすと知るべし」(『歎異抄』第一章)
と、ハッキリ書かれています。

教科書に書かれているから正しいのか、それは正確な根拠に基づいて書かれている内容なのか、正しい判断が必要ですねhappy01

今日もとても大切なことを聞かせていただいて、終わった後も親鸞学徒の皆さんと、信心の沙汰で盛り上がりましたhappy01

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2010年6月19日 (土)

草の根っこが深い

今日は、親鸞学徒の皆さんと、ドメイン大掃除でした。
駐車場のそばにある芝生の草取りをしましたsportssportssports

タンポポ……小さな時は雑草とは思っていませんでしたが、芝生の中では雑草です。しかも、根っこが深いのです。。。そういえば、小学生の時に、タンポポの根っこがどれくらい有るか?と掘ったことがありました。途中で挫折したほど、深かったのを覚えていますcoldsweats01

タンポポの花が終わると、白くなって、息を吹きかけると フーーッと空へ舞って飛んでいきましたhappy01
綺麗だなあと思って眺めていたのが、実は、タンポポの作戦であり、また新たな深い根っこをはり、新たなタンポポが生育していきます。

同じタンポポを眺めているのに、あのころは「きれいだなあ」と思っていたのが、今は「なんて根っこが深いんだ……」と思っています。

この根っこが深い為に、芝生に必要な土の養分を持って行かれてしまうので、芝生を守る為にもタンポポ取りが必要なわけです。

黄色い花だけを取っても駄目です。根っこが残っていると、また元気よく生育していきます。深い根っこから取らねばなりません。今日は一日、タンポポの根っことの格闘でしたcoldsweats01
草取りは、骨の折れる作業だと、改めて知らされた思いです。

日常生活の中でも、「根っこが深い」と、よく使います。問題の根っこが深いと言えば、なかなか解決出来ない深刻な問題、改善の難しい悪い体質などを表します。表面だけを解決しても、根っこが残っていれば、問題は再発してしまいます。

草取り、、、本当は、根っこ取り。
いろいろな苦しみ悩みも、表面だけを解決していては、本当の解決にはならず、再燃します。
取り組んでいる問題と、深い関係があるなあ、と思いながらの一日でした。
苦しみ、悩みの解決に向けて、これからも取り組んでいきたいと思いますhappy01

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2010年6月18日 (金)

水道管の破裂で知らされること

6月17日、富山県高岡市で水道管の破裂による浸水事故がありました。
地元チューリップテレビのニュースからの引用です(記事はこちら

17日午前11時半ごろ、高岡市大坪町の国道156号線で、地下に埋設してあった水道管が破損し、道路が水浸しになりました。近所の住民から通報を受け、高岡市は急きょ水道管の取替え作業を行いました(引用終わり)

日頃は何も気にせずにひねっている水道の蛇口ですが、我が家の水道の蛇口をひねると水が出るのは、家まで水道管が引かれているから、なんですね。水道管が破裂すると、たちまち断水、水は出ません。水を飲むことも、料理を作ることも、顔を洗うことも、お風呂にはいることも、出来ません。目に見えずとも、地下に埋設されている水道管があったなればこそ、の恩恵であったと知らされます。そこには、水道管を作った人の苦労もあり、水道管の工事をした人もあり、どれだけのご恩があったか、知れません。

今、親鸞聖人のみ教えを聞かせていただけるのは、私まで親鸞聖人の教えを伝えて下された方がおられたから、こそであります。当たり前のように教えを聞かせて頂いていますが、私に届くまでにどれだけの苦労があったか知れません。

聞かせて頂けたご恩を知り、感謝し、少しでもご恩返しをさせて頂きたいと思いますhappy01

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2010年6月 7日 (月)

更に珍しき法をも弘めず

親鸞聖人、常の仰せに

「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ人にも
 教え聞かしむるばかりなり。」

とあります。

親鸞学徒の私たちは、

「我ら親鸞学徒は、更に珍しき法をも弘めず、親鸞聖人のみ教えを
 われも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」

でなければなりません。

蓮如上人の御文章は、親鸞学徒の自覚と誇りで、親鸞聖人のみ教え
一つに貫かれていることを、今回の降誕会でも教えていただきました。

蓮如上人を親鸞学徒の鑑とお慕いし、親鸞聖人のみ教え一つを
我も信じ、皆さんにもお伝えしているばかりなり、の親鸞学徒の本道を
歩ませていただきましょうhappy01happy01

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2010年6月 6日 (日)

親鸞聖人のみ教えは、信心一つ。

この土日は、親鸞会館にて、親鸞聖人降誕会が勤修されました。
2日間、「聖人一流章」を通して、親鸞聖人90年間教えられた教えは、「信心一つ」であることを、懇ろに教えて頂きました。

親鸞学徒かどうか?は、親鸞聖人が教えられた信心を知るか否か?
親鸞聖人の教えをそのまま伝えられた蓮如上人は、

「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」

「祖師聖人御相伝一流の肝要は、ただこの信心一に限れり。これを
 知らざるをもって他門とし、これを知れるをもって真宗のしるしとす。」

そうして、御遺言には、

「あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」

と勧めておられる事を聞かせていただきました。

一点の曇りもなく、信心一つが明らかにされている親鸞聖人のみ教えであることが、よくよく知らされましたhappy01

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2010年6月 4日 (金)

親鸞聖人降誕会

いよいよ、親鸞聖人降誕会が近づいてきました。
青空のもと、垂れ幕も一際映えて、正本堂の入り口に近づくと、目に飛び込んできます。
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親鸞聖人がお生まれになられなければ、絶対に知ることが出来なかった事があります。絶対に聞くことが出来なかったことがあります。

来る降誕会では、親鸞聖人のみ教えを1人でも多くの方と聞かせて頂きたいと思いますhappy01

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2010年6月 2日 (水)

綿棒で出血

私事ですが、私は耳ear掃除はいつも綿棒を使っています。風呂上がりや、朝に綿棒で掃除をするのが気持ち良いですhappy01happy01

ところが、悲劇は突然やってきました。
周りに人がいたのに綿棒を使っていた私が悪いんですが(そうは思えない心が……)、振り向きざまに綿棒に手が触れ、耳に突っ込んでしまいましたcrying

痛さに顔をゆがめながら、、、それでも耳が聞こえない事も無かったので、そのままにしていたのですが、何度も、耳の中で「じわー」という何かの音?がして、見てみると出血。ありゃりゃ?と思いながら、それでも耳は聞こえるので、大事には至らないだろうと思いつつ、午後になっても、夕方になっても、止まらないので、心配になり、耳鼻科を受診しましたhospital

診察の結果、皮がすりむけたような感じで、2週間ほどで自然治癒するとのことでした。消毒などをしてもらいましたが、しばらくは出血が続くかもしれない、とのことでした。

「このまま耳が聞こえなくなったらどうしよう?」
と自分の判断で、あれこれ迷うよりも、信頼の置ける医師に診てもらうのが一番安心ですhappy01
仏教を聞かせていただく時も、耳が大事ですから、綿棒を使うときも、今まで以上に気をつけたいと思います。

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2010年6月 1日 (火)

多生にも値えない先生

親鸞聖人の人生観は、わずか50年か80年の人生ではなく、私たちの永遠の生命に立たれての人生観、生命観であると、聞かせていただきます。

袖触れ合うも多生の縁だと言われますが、親鸞聖人が「多生」と仰言っているお言葉に、

「昿劫多生のあいだにも 出離の強縁しらざりき
 本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし」

というお言葉があります。

 昿劫も多生も同じ意味ですが、そんな果てしない過去から、生まれては死に、生まれては死にを幾度と無く繰り返した、永遠の魂の歴史の中で、昿劫多生の間にもお会いできない先生にお会いできた喜びを仰言ったお言葉です。
 本師とは、本当の先生、まことの先生という意味です。源空とは法然上人のことです。

 人生において「先生」と言われる人に、何人も出会います。
 小学校、中学校、高校、大学の先生。野球やサッカーの顧問の先生、部活動の指導の先生、茶道や華道の先生、お医者さん、弁護士さん、いろいろな先生に出会い、その時、その時、教えてもらったことが多いのですが、「人生の師」どころでない、「多生の師」と言われる先生に、これまでお会いできたでしょうか……

「多生にもお会いできない先生にお会いできて良かった!」

 一生や二生では会えない先生とは、よほどの事を教えて下される先生に違いありません。
 永遠の魂の歴史の上に立たれて「多生にも値えない先生にお会いして、教えを受けることが出来て、本当によかった」と仰言っているのは、とても重みのあるお言葉だと、知らされます!wobbly
 いったい、何を教えて下される先生が、多生にも値えない先生なのでしょう?
 そんな親鸞聖人の教えを、重ねて聞法したいと思いますhappy01

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