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2009年8月23日 (日)

心と口と体

親鸞会館でのご講義に参詣しました。

お釈迦様の説かれた仏教を「我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」と仰有る、親鸞聖人のお言葉を聞いて、珍しい話、誰も説かなかった話、聞いたことがない話をして、「この人は、物知りだなあ、何でも知っているなあ」と関心を引くのは、親鸞学徒ではないと、思いました。

珍しいことを言いたい一杯。名利の大山に迷惑している一杯。誰も知らんことを知ったふりをしたい一杯。それを懴悔なさっている、お釈迦様のお言葉のままの90年のご生涯は、お釈迦様の教えの通り、仏説マコトを知らされられたからこそ、と思います。

そんな仏教では、私たちの行いを、三業(さんごう)と教えられます。行いと言ったら、一般的には、体で何かすることを行いと言います。でも、仏教では、行いに3通りあって、三業と言われます。
それが「心と口と体」の3つです。心口意の三業とも言います。
・意業……心の行い……心で何かを思う
・口業……口の行い……口で何かを言う
・身業……体の行い……体で何かを行う

「心と口と体」と聞きますと、一般的には
「心で何を思っていても言いけれど、それを口に出してはいかん。ましてや、それを表に表してはいかん」
と言われます。

心<口<体

です。あれ欲しい、と思っても、スーパーで万引きしてはいかん。そんなことしたら、法律で取り締まられる、逮捕される、というわけです。

ところが、仏教では、体でやるよりも、口で言うよりも、心で思うことを最も重視されます。というのは、口で何かをいうのは、心で思ったことだからであり、体で何かを行うのは、心で思ったから、なんです。仏教で心がもっとも重視されるのは、当然のことです。

誰も聞いていないから良いだろう、誰も見ていないから構わないだろう、では無いんです。仏様は「見聞知のお方」
誰も聞いていないと思うかもしれないが、聞いておるぞ。誰も見ていないと思うかもしれないが見ておるぞ。誰も分からんだろうと思うかもしれないが、心で思っている事も知っているぞ。

これは、私たちの行いを三業と教えられる仏教の教えです。誰も見ていない、誰も知らないはず、と思うことも、検証していくと次々に明るみに出てきます。刑務所での取り調べも、容疑者の証言から矛盾点をさぐり、次々に退路を断って、誰も聞いていないと思っていた言葉や、隠したから見つからないと思っていた痕跡・証拠を見つけて、逮捕・起訴に至るそうです。科学の進歩で、毛髪から、いつから覚醒剤を使っていたかまで分かるそうですから。

日頃は、表面だけ、体裁で取り繕っていたとしても、心や口で積み重ねてきた行いは、消えません。明るみに出たらどうでしょうか?心で思っていることを、知られて恥ずかしくはないでしょうか。嫌ではないでしょうか。、軽蔑されることはないでしょうか。三業で行っていることは、善か?悪か?心が汚染されていたら、口や体はどうなるか……・

親鸞聖人から仏教を教えて頂く、私たち親鸞学徒も、「お釈迦様の説かれた仏教を、親鸞聖人の教えていかれた仏教を、我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」、嘘や偽り、褒められたい、物知りと思われたい、私の教えではなく、仏の教えをそのまま伝える事に徹して行かねばならないと、思いました。

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