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2009年2月24日 (火)

アカデミー賞『つみきのいえ』

アカデミー賞受賞のニュースが、周り中の暗いニュースの中にあって、一際話題を誘いますねheart04

この、短編アニメ賞を受賞した、加藤久仁生監督の『つみきのいえ』も、この間、テレビで紹介を見ましたけど、本当に感慨深い、考えさせられる映画だなあ、と思いました。
実は、私の知り合いに、多摩美出身の子がいるんですが、その子の知り合いだったそうです。久しぶりにお祝いのメールをしたら、返信までくれたそうですnote今後の活躍を応援したいと思いますspade

ところで、この短編アニメを見ていると、夏目漱石のデビュー作、『吾輩は猫である』の最後の場面を思い出しました。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い」ではじまるユニークなこの小説には、鋭いメッセージがたくさん散りばめられていると思いますが、最後は、こういうシーンです。

苦沙弥(くしゃみ)先生の座敷に仲間が集まり、呑気な話に花が咲きます。セカセカした西洋文明(今は日本もそれにどっぷり浸かってしまいましたが)に比べ、まことにのんびりとして、ほほえましい風景が描かれます。

この日の最後には、結婚の決まった多々良三平がビールを提げて登場し、みんなでそのビールをいただき、秋の日は暮れ、みんなは次々に帰って行きました。
そして、「寄席がはねたあとのように座敷は淋しくなった」と続き、この後です、
「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」と猫が思うのは。

誰もが皆、心の底には漠然とした不安を抱えているのではないでしょうか?
経済的不安とも違う、人間関係の不安とも違う、人間存在そのものの不安といったようなものを。
その孤独で、不安な、さびしい気持ちを、
「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」
と表現しているように思うのです。

『つみきのいえ』でも、水に埋もれていく家を、失うまい、思い出を水の中に落としたら、それを探しに水に潜っていく、そんな人生の大切な1ページ1ページを、失いたくない、失いたくない、だけど消えていく……その寂しさは、大勢の人の共感を覚える内容ではないかと思いました。短い映像の中に、そんな誰もが心の底で感じている、実は何とかしたい、何とかならないのだろうか……?と願っている、強い強い望みが、この『つみきのいえ』にも、夏目漱石の「我が輩は猫である」にも綴られている気がしました。
やがて失うものばかりに「この坂を超えたなら」では、余りにも寂しすぎますからね!

明るい未来に向かって、生き抜きたいものですscissors

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