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2008年12月 1日 (月)

藤原俊成の歌

そろそろ正月ですね
ニコv(。´ー`。)vニコ
(まだ早いか!?)

正月と言えば、カルタ。カルタでも、百人一首をする人もあるでしょう。
そんな百人一首の中の和歌から考えてみたいと思います。
今回は、藤原俊成の作ったものを取り上げます。

藤原俊成(1114~1204)は、平安末期の廷臣・歌人・歌学者で、百人一首の選者、藤原定家の父にあたる人物です。
数多くの歌合わせ・歌会などに出て活躍し、次第に歌壇の指導者となり、晩年は、『新古今和歌集』の歌風の形成に大きな役割を果たしました。
また、『千載和歌集』の選者でもあるなど、今にもその名を残しています。

その彼が作った和歌が、次の和歌です。

"世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
  山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる"

小学校や中学校などで覚えたという人、懐かしく感じ思い出す人もあるでしょう。
しかし、その和歌の中に、どのような思いが込められているのか、深く考えてみた人は少ないのではないでしょうか。
簡単な意味は次のようになります。

"ああ、この世の中には(辛さを逃れる)道はないのだなあ。(世を捨てようと)思い詰めて入った山の奥にも鹿が(悲しげに)鳴いていることだよ"

この和歌は、世俗の辛さから逃れようと山奥に入っても、辛いことはなくならなかったという嘆きを詠んだものだそうです。

辛さから逃れようとしても、辛いことはなくならなかった、と嘆いていますが、
同じように嘆くのは俊成だけではありません。

天下を取り、征夷大将軍にのぼりつめた徳川家康でも、
「重荷を負うて、遠き道を行くがごとし」
とみずからの一生を述懐しています。
死ぬまで、苦悩という重荷はおろせなかったというのです。

夏目漱石は、
「人間は生きて苦しむ為(た)めの動物かも知れない」
と妻への手紙に書いています。

また、最近では、自殺者が後を絶たず、日本では十年連続で三万人以上の人が自殺をしています。

このように、いつの時代も愁嘆の声は絶えず、現代も同じと言えるでしょう。
なぜ苦しみ悩みが絶えないのか、よくよく考えてみる必要がありますね。

時代が変わっても、苦しみがあるということはかわらないのですね。
その苦しみがどこからやってくるのか?
これを知らずしては、生きていけないのも道理です。

うーん、今日は深いお話しでした。

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